湖北の風景2

泉州と湖北は、地形や農業を主体とする産業構造は似ているのであるが、気候や、住んでいる人々の気質は全然違っている。

泉州は、雨が少なく、太陽が燦々と照っている印象が強い。農業用の「ため池」も多い。ダンジリ祭りに代表されるように、派手な祭りもある。新しいものを受け入れる所があり、泉佐野市を見ても、市長以下、若手の市会議員が頑張っている。

湖北は、冬は根雪があり、雪国と言って良い。スノータイヤや雪かきも不可欠である。泉州のように派手な祭りはない。人々は概して親切である。歴史の舞台に翻弄されてきた土地柄だけに、目立たず、真面目で柔軟に対処できる人々が多いと思う。

湖北工業の社長は関東の出身であるが、この地に会社を置いている最大の理由は、この地方の人々の気質が、部下として最適だからである。

京都には「いけず文化」があるが、これは京都が気候に恵まれているためであろう。自然環境の厳しい雪国では、「いけず」は通用しないのである。互いに助け合わなくては厳しい冬を生きていけない。

京都の本質は職人の町であり、我が道を追求する人が多い。工芸品にしても、織物にしても、絵画にしても、京都には最高の職人が居る。基本的に自宅で仕事をしていても怪しまれない。私も自宅に引き籠もっていたが、全く怪しまれなかった。

学者というのも職人の一種であり、生涯をかけて自分の学問を追究する人々である。京都にノーベル賞が多いのも、職人文化の影響が大きい。ただ職人というのは、パトロンを必要とする。メチジ家とか、天皇家とかである。現代では税金を握っている公的部門の比重が高い。京都は反権力とか言われるが、そこから仕事をもらう以上、階層社会にならざるを得ない。