天然核融合

前回、ブログを書いてから4年余り経過した。この間、メガソーラーの企画会社などで仕事をしていた。私は、阪大では慣性核融合の研究室に所属していて、卒業後は電力会社で仕事をした。
http://www.ile.osaka-u.ac.jp/jp/index.html

自分の人生を振り返って考えるに、エネルギー、計算機シミュレーションと共に歩んできたように思う。子供の頃、1972年の「成長の限界」や、1974年のオイルショックで、あと30年で石油が枯渇すると言われていた。枯渇後の生活は想像もつかず、なんとかしなくちゃと思っていた。
http://nota.jp/group/publicsemikg/?20111030221635.html

それで大学は、レーザー核融合の研究を華々しくしていた阪大の電気工学科に入学した。卒研では計算機シミュレーションの研究室に所属し、どの程度の規模で核融合が実現するか見当をつけようと考えた。
http://kagakucafe.org/sotsugyo_cip.pdf

大学院では、パルスパワー装置の実験をしていた研究室に移籍した。レーザーは効率が悪く、工学的ブレークイーブンが実現不可能に思えたからだ。その点、パルスパワー装置を使った核融合は、コアへのエネルギー注入効率が高く、実現可能性があると考えた。
http://kagakucafe.org/syushi_zpinch.pdf

当時、研究室を主宰していたのは、今崎一夫先生であった。私は基本、シミュレーション屋であるので、今崎先生と波長が合ったとは思わない。しかし旋盤を使って観測器具を工作したり、x線フィルムを現像したり、いろいろ経験させて頂いた思い出がある。
https://researchmap.jp/read0001659/

卒業して30年になるが、未だに核融合発電は実現していない。装置が多少、大型化した程度である。「イカロスの翼」の神話のように、人間には努力しても達成不可能な事があると思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%82%B9

太陽光発電は、太陽の核融合エネルギーを利用するものであるから、一種の核融合発電であると言える。私は「天然核融合」と呼んでいたが、メガソーラーの仕事をしたのも、学生時代からの流れであったと思うのだ。

今崎先生は精神に異常をきたし、昨年亡くなられたそうである。今日は先生を偲ぶ会が開かれる。恩師のご冥福をお祈り致します。

エネルギー転換の宗教的背景

ドイツは原子力化石燃料から、自然エネルギーへの転換に積極的である。その本質は、宗教的に考える必要があると思う。宗教的考察の重要性は、菅元首相も指摘している。
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11771922144.html
http://cwoweb2.bai.ne.jp/~cdl00200/Durchblick_AEE_Online.pdf

大人と子供の最大の違いはなんだろうか? 死を意識するか否かであると思う。大人はどのように自らの死を克服するのか? 宗教はこの問題に対する一つの解答である。人は神(自然)の調和の中に居る時、肉体の死を受け入れる事が出来るようになる。信仰によって死を克服するというアイデアである。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」

キリスト教の場合、信仰とは具体的に以下のプロセスを経るとされている。これらを経て、永遠の生命に至るのである。それは真の大人になるプロセスでもある。
http://www.huldahministry.com/gplink11.htm
(1)悔い改め
(2)信仰告白
(3)バプテスマ

翻って現代文明を支えているエネルギーについて考えて見よう。20世紀の科学技術の発達は、多くの夢を現実のものとした。しかしながら、それを支えているエネルギーは、石油に代表される化石燃料やウランであり、有限のものであった。
http://www.energywatchgroup.org/fileadmin/global/pdf/EWG-update2013_long_18_03_2013.pdf

その意味で、20世紀の科学技術文明は子供から青年期にあったと言えよう。21世紀の文明は、なんとか持続可能性を獲得して、真の大人にならなくてはいけない。ドイツのエネルギー転換の本質は「永遠の生命」への挑戦である。

彼らはまず謙遜になって、原子力を悔い改めた。人間の創造したものは偶像であり、それを崇拝するのは間違っている。安全神話偶像崇拝の罪であった。
http://financegreenwatch.org/jp/?p=35665

彼らは自然エネルギーに転換する事を世界に向けて宣言した。そして法律や経済的インセンティブを使って、原子力化石燃料文明の緩やかな死と、自然エネルギーに立脚した新しい文明としての再生に挑戦している。これは文明におけるバプテスマである。

旧約聖書には、「ノアの洪水」など、神(自然)に従わなかったために滅ぼされる情景がいくつも描かれている。日本のFIT制度に混乱が見られるが、かつて導入された民主主義同様、形だけまねて、その本質が理解されていないからであるように思える。
http://www.asahi.com/articles/ASG2G42LCG2GULFA00G.html
http://agora-web.jp/archives/1582329.html


http://www.isep.or.jp/library/5954
http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/kihonmondai/3rd/3-82.pdf
http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/31/volker-stanzel-interview-energyshift_n_4186441.html
http://ourworld.unu.edu/jp/can-japan-go-100-renewable-by-2050/
http://www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/07-umwelt-und-energie/071-energie/0-energie.html

日本版FITの問題点(5)

以上、日本版FITが、単に買取価格だけでは判断できない問題を孕んでいる事を指摘した。「神は細部に宿る」のである。これらの問題に躓いて今後、倒産する発電事業者も出てくるものと思われる。倒産しないまでも計画の見直しが相次いでおり、何時までたってもドイツに追いつけないだろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD2106Z_R20C13A5EB2000/

最後に、21世紀の電力系統について、私なりのビジョンを描いておきたい(1)。分散型電源はインターネットに対比されるが、その本質は「電源の双方向化」である。
http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/sougou/denryoku_system_kaikaku/report_001.html


電力系統のトポロジー変化

従来の電力系統は、発電−>送電−>配電、と電気の流れは一方向であった。それに対し、分散型電源では、送電<−>配電(発電)、という構造に集約されるのである。これは、インターネットにおける、幹線系<−>アクセス系、と同じ構造である。従来の1次側、2次側という概念も見直しが必要となる。

ある配電系統内での分散型電源による発電量が、消費量を上回ると、その系統は、「発電所」と同等と見なされる。配電用変電所の逆潮流を認める規制緩和が予定されているが、「電源双方向化」に向けての記念すべき第一歩とみなす事ができる。
http://toyokeizai.net/articles/-/13598?page=5
http://www.meti.go.jp/policy/safety_security/industrial_safety/oshirase/2013/05/250531-1.html

インターネットの場合、幹線系はパイプラインであって、情報のやりとりをしている主体は、アクセス系に繋がっているサーバや端末である。電力系統の場合も、発電と配電を同時に送電ネットワークから分離する事により、供給主体と需要主体が明確となり、価格競争の促進が期待できる。

例えば、営業所単位で価格交渉を行った方が個人でやるよりも交渉力がある。ここで注意すべきなのは、配電と小売は一体であって、分離する事はできないという点である。電気を売るのに電線は不可欠であって、電力会社においても、配電は営業所に置くのが一般的である。

66kV以上の送電ネットワークは、配電事業者や、発電事業者が支払う「接続料」で運用される。これは、インターネットの幹線系が、アクセス系からの接続料で維持されているのと同じである。ただ「接続料」に「電力料」が付加される点が、通信との違いである。送電(幹線系)と配電(アクセス系)は、配電用変電所の送電側(66kV, 77kV)を責任分界点として分離される。


電気機器側での対応

インターネットでは、アクセス系の光化(FTTH)と、幹線系の波長多重化(WDM)によりブロードバンドが実現したが、電力系統においても、電力会社をまたがる超高圧系統の強化とともに、20kV級配電技術を用いてアクセス系統を抜本的に強化し、メガソーラーや風力発電を低コストで連系できるようにすべきである。

またバッテリー技術が注目されているが、電気機器側での対応も重要である。昔は、50Hz/60Hz と周波数が変わると機器が使えなかったが、最近は周波数だけでなく、海外の電圧に対応できる機器も多い。自然エネルギーの不安定さを克服する電気機器の開発が期待される。不安定な電源に適応できる電気製品は、今後の世界市場において競争力を持つだろう。

それに伴い、電気事業法の電圧規制101±6V(202±20V)についても、100±12V(200±24V) 程度に緩和されるべきである。系統連系ガイドラインの見直しも必要となる。
http://www.enecho.meti.go.jp/denkihp/genjo/rule/keito_index.html
http://www.enecho.meti.go.jp/denkihp/genjo/rule/index.html


自然エネルギー社会

最近、原発再稼働を目的として、自然エネルギーを批判する向きもある。しかしウラン資源も化石燃料と同じく有限であり、高速増殖炉計画が頓挫する中、「純国産エネルギー」 としての自然エネルギーの拡大は日本にとって必須であり、世界の潮流でもある。
http://www.goldmansachs.com/japan/ideas/clean-technology-and-renewables/index.html

自然エネルギー社会では、現在のように誤差1分以内で電車を運行したり、24時間営業のコンビニエンスストアは無理があるだろう。しかし電気事業が始まってまだ100年余りであり、それまでは電気無しで生活してきた訳であるから、自然エネルギー社会に我々が適応する事は案外、可能ではないだろうか?
http://www.suiryoku.com/gallery/kyoto/keage/keage.html

深夜労働者にガン発生率が高いというデータもあり、太陽に合わせた「晴耕雨読」の生活を取り戻すべきであろう。日本民族は元々、自然と調和して生きてきた伝統を持つのであり、21世紀の自然エネルギー社会をリードして行きたいものである。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0519/

筆者は、配電の現場を離れて久しく、最近の文献や海外の状況等についても十分に把握している訳ではない。誤解している点も多々あると思われる。コメント頂ければ幸いである。


(1) 大前研一氏も電力再編案を提起しておられる。高圧送電公社を3000V以上とするなど(高圧受電は6600V)、誤解されていると思われる点もあるが、より良い電力システム改革に向けて、こういった議論を積み重ねていくべきである。
http://president.jp/articles/-/9323

日本版FITの問題点(4)

最初に指摘したように、本来、電力会社と発電事業者は、Win-Win の関係が成立するはずであり、お互い協力して速やかにドイツのような負荷曲線が実現されるよう制度設計を考えるべきである。それには現在のルールをどのように変えたら、自然エネルギーの普及が進むだろうか? 私なりに考えるポイントを以下に列挙する。


アクセスラインは電力が建設、保守すべきである

2MW以上のメガソーラーや、風力発電で問題になってくるが、現状では特高配電線等のアクセスラインを設計、構築、保守運用していく技術や人材が、電力会社にしかないからである。不良設備を次の世代に残さないためにも、電力会社が線路構築に協力すべきである。
http://www.kankyo-business.jp/column/004471.php

ただし電気料金の上昇を抑制するためには、発電所容量とアクセスラインの建設費用を勘案し、投資効率の高いものを優先すべきである。また建設に伴う工事負担金については、受電と売電で統一基準を適用し、負担金を巡る不透明な仕組み(系統整備費用を発電事業者に負わせる等)を改善すべきである。

受電と売電に統一基準を適用するのは、予定される「発送電分離」に伴い、電力会社は、電力の需要(消費者)と供給(発電所)を仲介する役割に限定され、インターネットと同じく、容量に応じた「接続料」として徴収すれば良いからである。 現状では、取りあえず受電契約をして、後から売電契約を追加する事で負担金の削減が可能となり不公平である。

2MW未満の高圧連系の場合は、電力会社(配電部門)がアクセスラインを建設、保守する事となっているが、受電と売電で統一基準を適用する事で、負担金の透明性を改善し、過大な負担金を防止する効果が期待できる。

また発電事業者を、変電設備や配電設備から解放して、発電設備の建設、運用に集中させる事により、設備保安の向上とともに、発電事業の透明性や安全性が向上し、投資の促進が期待できる。


FITに電力会社の系統整備費用を組み入れるべきである

電力会社は分散型電源の普及に伴って、配電用変電所を増強したり、アクセスラインを設計、工事、保守運用しなければならない訳であるから、それに見合ったコストをFITに組み入れるべきである。電力会社にとっても、FITからの分配収入が得られれば、発電事業者との Win-Win 関係が成立し、自然エネルギーの開発が加速されるだろう。

また電力自身が、もっと積極的にメガソーラーや風力発電に取り組むべきである。投資資金が確実に自然エネルギー開発に回るよう、分社化等で会計の透明性をあげる必要がある。


特高配電技術を有効活用すべきである

昭和から平成に変わる頃、関西の某電力では「20kV級配電」というのが盛んに言われていた。現在、高圧配電線は6600Vが標準となっているが、元々は3300Vが標準であった。昭和40年前後の高度成長期に供給力増強を目的として、全面的な昇圧工事を実施したのである。

さらに将来の供給力増強に備えて電柱を使って、22kVや、33kVの特別高圧で送配電する技術を開発し、普及させる計画であった。その後バブルが崩壊して電力需要が伸び悩んだ事、変圧器や電気機器の全面的入れ替えが必要となり、コスト的な問題もあって計画はごく一部を除いて頓挫した(1)。

しかしながら、この技術は大型メガソーラーや、風力発電所のアクセスラインとして極めて有効であり、1基1億円とも言われる鉄塔方式と比べ、一桁低いコストと、短い工期でアクセスラインが実現される。

また10〜20MWまで(高圧連系と同じく)配電部門のみで連系検討やアクセスラインが可能となるため、今後のメガソーラーや風力発電普及の鍵となると思われるが、配電用変電所に22kV級用の変圧器を整備する等の投資も必要である。


(1) これを推進していたのが、当時、配電部門を指導しておられた東松孝臣氏である。世界に先駆けて高圧絶縁電線を採用するなど、日本の配電技術は世界をリードしており、これが世界一といわれる電力品質をもたらした。
http://www.amazon.co.jp/dp/4485101150/

日本版FITの問題点(3)

電力会社の本質

電力会社というと、黒四ダムや、原子力発電所などの発電設備に目がいくが、事業の本質は「つなぐ」という事にある。数千万本におよぶ電柱、数百万kmにおよぶ電線、変圧器等々を営々と築き上げ、保守してきたのである。
そこには、用地交渉に始って、設計、工事、系統運用、保守等、様々なノウハウが蓄積されている。私は昔、外線設計をしていた事があるが、設計だけでも一人前になるには5年は必要だと言われた。

強度計算や電気設計、景観との調和など様々な要素の検討が必要である。電柱は何気なく立っているように見えるが、数十年間、風雨や街の変化に耐える設備には、それだけのノウハウ詰まっているのである。

これらのノウハウは電力会社の固有技術であって、施工業者は電力会社の指示通り工事をしているに過ぎない。日本版FITでは、アクセスラインの建設を新規の発電事業者に要求しているのであるが、果たしてそれが可能だろうか? 


新規事業者に電柱が建てられるか?

まず、新規事業者が電柱を建てる事は不可能に近い。山の中や、自分の土地に建てるのは自由である。しかし国道や県道など、いわゆる公道に電柱を建てるには、道路管理者の許可が必要である。電柱というのは、街の景観を劣化させる「迷惑施設」であって、道路管理者としてはなるべく建てさせたくないのである(1)。

電柱は道路に沿って敷設されるが、道路には左右に2つのサイドしかない。過去からの経緯により、電力とNTTが既得権を持っている。すなわち右サイドに電力が建てる場合は、左サイドにNTTが建てる。

電力の電柱には通信線を共架させ、NTTの電柱には、配電設備の設置を認める。NTTは電力会社のために、わざわざ高い電柱を建てるのである。こうして電力会社とNTTは、現場レベルの協力体制が出来上がっている。そこに新規の発電事業者が割り込む事は不可能であろう(2)。

また、たとえ特高配電線の建設に成功したとしても、新規発電事業者が今後20年間余に渡り、設備を保守していく事は不可能であると言える。

送電部門の人間は往々にして「配電線など送電線の先についている僅かな電線」程度に考えており、「施工業者にたのめば建設は簡単」、などと言ってくるのであるが、それは配電部門を見くびっている。通信線には「ラスト1マイル」という概念があるが、電力の場合も、電気の品質(電圧、供給信頼度)を決めているのは、大部分がラスト1マイルの配電系統なのである。


(1) 電柱問題に取り組まれた著名な学者が、東大先端研におられた大越孝敬先生である。先生の名著「光ファイバ通信」では、最後の章で日本の電線地中化が進まない原因を分析しておられる。私は縁あって、先生の亡くなられた翌年(1995)に、配電部門から光通信の研究に転じた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4004302668/

日本版FITの問題点(2)

電力会社による発電事業者への各種いやがらせ

設備認定を受け、電力会社に申請書類を提出する事により、確かに買い取り価格は確定される。しかしながら、「全量買取制度」と言いながら、実際の発電所出力については、後から様々な理由(電圧変動やバンク逆潮流、総量規制等)をつけて減らされるのである。出資者としては、発電所出力の低減は、投資資金の回収期間に直接影響する訳だから、出力が確定するまでは投資できないであろう。


さらに追い打ちをかけるのが、不透明な系統連系工事負担金である。日本版FITでは、発電所と系統との連系線については、事業者の負担となっている。この金額が、電力会社や事業所によっても大幅に異なり、高圧連系で数千万、特高連系になると数億円を要求される例も珍しくない(1)。しかも工事の必要理由については、電力会社から一方的に通告され、事業者は黙って従うしかないようになっている。

電力保安通信の関係で過大な金額を要求される場合もある。電力では保安上、自社で専用線を張ったりしているが、インターネット回線を利用した安価な監視サービスを提供する会社も出てきており、これらのサービスが保安通信に利用できるよう検討して頂きたいと思う。
http://www.mki.co.jp/biz/solution/green/solar_power_monitoring/index.html

これらに加えて特に大型設備の建設が進まない原因としてアクセスラインの問題があり、これは事業者にとってオカネでは解決できない問題となっているので、これについて特に指摘しておきたい。


アクセスラインは誰が建設すべきか?

2MW以上のメガソーラーになると、特高での連系が必要となる。この電圧は電力会社や発電所の設置場所にもよるが、送電線近傍であれば66kVや、77kVで直接送電線に連系する。送電線から離れた地点であれば、送電線近傍に変電設備を「事業者側で」設置し、22kVや、33kVの特高配電線(電柱方式)で発電設備までのアクセスラインを「事業側で」建設する、というルールになっている。

私は以前、配電で仕事をしていた事があるが、事業者側でアクセスライン(特高配電線)を建設、保守するのは、ほぼ不可能と言って良い。つまり、日本版FITでは、送電線から離れた場所に2MW以上のメガソーラーや風力発電設備を建設する事は、物理的に不可能なのである。

この問題は、配電部門の人間には常識であるが、2MW以上の設備になると、電力会社の窓口が送電部門に変わるため、電力会社も十分に認識していないようである。その結果、電力会社から「連系可能」という回答が得られても、実際の発電所が建設できないという事態に陥るのである。

新規の発電事業者にしてみれば、電力の配電部門と送電部門にある壁など認識できるはずもないであろう(2)。


(1) 私の居た会社では、「負担金当てゲーム」というのが流行っていた。電力会社からの回答書が来ると、そこに書かれている負担金請求額をみんなで予想し、一番外れた人が全員(と言っても10人程だが)にコーヒーを奢るのである。

(2)電力会社の内部ではすでに、発電、送電、配電、は明確に分離されておりカルチャーも全く違う。部門間の人事交流は、ほぼ無いと言って良い。

日本版FITの問題点(1)

先日、経済産業省から、再生可能エネルギー発電設備の導入状況が公表された。それによると、設備認定(建設計画)は約1300万kWと順調に伸びているが、運転開始したものは166万kWに留まっており、とてもバブルと言える状況ではない事がわかる。メガソーラーや風力発電など大型のもの程、工事が進んでいない。
http://www.meti.go.jp/press/2013/05/20130517002/20130517002.html
http://toyokeizai.net/articles/-/13598

電中研の研究者が日本版FITの問題点について指摘しているが、事業者側から眺めた場合、公平な議論でないように感じられるので、事業者側から見た日本版FITの問題点について簡単にまとめておきたい。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2671?page=1
http://www.enecho.meti.go.jp/saiene/kaitori/legal.html

ドイツ版FITの評価について
果たしてドイツ版FITは失敗したのだろうか? 太陽光と風力による電力は、既に化石燃料に匹敵する規模に成長している。負荷曲線を見ても、太陽光発電により昼間ピークが効果的に抑制されていることが分かる。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130314/271051/
http://www.ise.fraunhofer.de/en/renewable-energy-data


電力会社はこれまでピーク電力を抑制するため、蓄熱式冷暖房の普及など、負荷率改善に多大なコストと人材を投入してきたが、太陽光発電によりそれが達成される可能性が高い。

太陽光発電の多量導入は原発停止に伴う節電や計画停電の回避に極めて有効である。本来、太陽光発電事業者と電力会社は、制度設計さえ上手くやれば、Win-Winの関係を築けるはずなのである。


なぜ発電所建設が進まないのか?

もし電中研の研究者が指摘するように、日本版FITの買取価格が高すぎるのであれば、速やかに発電所を建設し、売電事業を開始した方が有利であろう。即時償却ができる「グリーン投資減税」も、設備取得後1年以内の売電開始が条件となっている。
http://www.enecho.meti.go.jp/saiene/kaitori/kakaku.html
http://www.enecho.meti.go.jp/saiene/support/business2.html

ではなぜ、事業者は速やかに発電所を建設しない(できない)のであろうか? 円安が進む状況で、輸入パネル価格のさらなる低下を指をくわえて待っているのであろうか? 先の論文では、発電所建設が進まない本当の理由が隠蔽されている。

発電事業者は、金融機関や国内外のファンドから資金提供を受けて、発電所建設を進めるのであるが、「日本版FITでは資金が提供できない」、と指摘されているのである。以下、その理由について検討してみよう。