エネルギー転換の宗教的背景

ドイツは原子力化石燃料から、自然エネルギーへの転換に積極的である。その本質は、宗教的に考える必要があると思う。宗教的考察の重要性は、菅元首相も指摘している。
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11771922144.html
http://cwoweb2.bai.ne.jp/~cdl00200/Durchblick_AEE_Online.pdf

大人と子供の最大の違いはなんだろうか? 死を意識するか否かであると思う。大人はどのように自らの死を克服するのか? 宗教はこの問題に対する一つの解答である。人は神(自然)の調和の中に居る時、肉体の死を受け入れる事が出来るようになる。信仰によって死を克服するというアイデアである。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」

キリスト教の場合、信仰とは具体的に以下のプロセスを経るとされている。これらを経て、永遠の生命に至るのである。それは真の大人になるプロセスでもある。
http://www.huldahministry.com/gplink11.htm
(1)悔い改め
(2)信仰告白
(3)バプテスマ

翻って現代文明を支えているエネルギーについて考えて見よう。20世紀の科学技術の発達は、多くの夢を現実のものとした。しかしながら、それを支えているエネルギーは、石油に代表される化石燃料やウランであり、有限のものであった。
http://www.energywatchgroup.org/fileadmin/global/pdf/EWG-update2013_long_18_03_2013.pdf

その意味で、20世紀の科学技術文明は子供から青年期にあったと言えよう。21世紀の文明は、なんとか持続可能性を獲得して、真の大人にならなくてはいけない。ドイツのエネルギー転換の本質は「永遠の生命」への挑戦である。

彼らはまず謙遜になって、原子力を悔い改めた。人間の創造したものは偶像であり、それを崇拝するのは間違っている。安全神話偶像崇拝の罪であった。
http://financegreenwatch.org/jp/?p=35665

彼らは自然エネルギーに転換する事を世界に向けて宣言した。そして法律や経済的インセンティブを使って、原子力化石燃料文明の緩やかな死と、自然エネルギーに立脚した新しい文明としての再生に挑戦している。これは文明におけるバプテスマである。

旧約聖書には、「ノアの洪水」など、神(自然)に従わなかったために滅ぼされる情景がいくつも描かれている。日本のFIT制度に混乱が見られるが、かつて導入された民主主義同様、形だけまねて、その本質が理解されていないからであるように思える。
http://www.asahi.com/articles/ASG2G42LCG2GULFA00G.html
http://agora-web.jp/archives/1582329.html


http://www.isep.or.jp/library/5954
http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/kihonmondai/3rd/3-82.pdf
http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/31/volker-stanzel-interview-energyshift_n_4186441.html
http://ourworld.unu.edu/jp/can-japan-go-100-renewable-by-2050/
http://www.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/07-umwelt-und-energie/071-energie/0-energie.html