社会の2相(3)

聖書を読んでいて驚くのは、旧約聖書新約聖書のギャップである。新約聖書では、キリストは「汝の敵を愛せよ」と説くのに対し、旧約では、神に従って敵を滅ぼす話が頻繁に出てくる。これはキリスト教の二面性を示すものであろう。

日本社会にも、相対的価値と絶対的価値、秩序と真理、組織と個人、女と男、といった2項対立が昔から存在し、時代によって強弱が変化してきた。一般に平和な時代ほど前者が重視される。草食系男子は平和の産物である。どちらを重視するかで人間は2タイプに分類され、社会への適応性が決まってくるのである。

日本人で、最初にこれを分析したのは、弘法大師空海」であろう。彼は24歳の時に「三教指帰」を書き、儒教道教、仏教の比較論を展開している。生命の本質を追究せず、ただ表面的な秩序を重んずる儒教は浅薄だと述べている。儒教をベースにした大学教育に我慢できず退学してしまうのである。
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-writing/post-105.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0750.html

手塚治虫空海の生まれ変わりではないかと思う。空海は「曼陀羅」を描き、手塚は「漫画」を描いた。空海法号は「遍照金剛」といい、この世の一切を遍く照らす最上の者、即ち「大日如来」を意味する。大日如来はこの世の生命の根源、創造者であり、他の神々はその化身に過ぎない。密教は、一神教をベースとしている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

手塚の漫画で大日如来に相当するのが「火の鳥」である。火の鳥はあらゆる時代に現れて、生命を励ます存在である。昭和20年代末、手塚の漫画は「悪書追放運動」で焼かれる。動物が言葉をしゃべったりするのはデタラメだと非難される。親孝行を説く「赤胴鈴之助」のような儒教思想が優越していた時代である。私はこの漫画に刺激されて剣道部に入り、風呂の中で「真空斬り」の原理を研究した記憶がある。
http://www.youtube.com/watch?v=oD6OBgIdiso
http://www.youtube.com/watch?v=rZJsJub4_sI
http://www.youtube.com/watch?v=C3sW6FjN_DU&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=eevgs8jcdNU

日本にも、密教や神が重視された時代がいくつかある。平安初期や戦国時代、戦争中など、混乱の時代である。高野山奥の院に、戦国武将の墓が並んでいるのは注目に値する。困難の中でこそ、人間は神や法を求めるものである。

私は現在の日本の閉塞状況の根源には、儒教思想があると思っている。儒教は君子の心得を説いたものであり、砂漠をさまよったり、森林修行の中で生命の根源を追求したものではない。その意味で浅薄である。毛沢東文化大革命で、孔子を封建主義を広めた悪人として批判している。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100514/214426/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90

平和で安定した時代には、儒教でも良かった。日本の雇用システム、新卒一括採用や年功序列、終身雇用などは儒教思想をベースとしている。しかし変化の時代には、儒教思想は適応力を欠いている。能力を持ちながら社会的に活躍できない若い世代が日本には多量に存在しているのである。能力でなく、卒業年度によって、就職状況が異なるのは本来、おかしい。

これを打ち破るには、「本来どうあるべきか?」という視点が必要である。それは「神の視点」と言って良い。儒教に「神」は出てこない。儒教思想からの転換に成功するか否かが、日本の将来を左右するように思う。

空海は人々を導くだけでなく、灌漑用の池を設計し、学校を創り、文化的貢献も大きい。頭を丸めて四国八十八カ所を巡る政治家も居る。千二百年の歳月を越えて、人々に慕われているのを見ても、日本史上最大の政治家と言って良いだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=3zO-HBNnDSY
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