科学の階層性
前回の科学カフェは、伊谷原一先生によるボノボの生態で面白かった。科学の中で、霊長類学は、めずらしく日本が進んでいて、その背景に宗教的理由があるらしい。
http://ameblo.jp/kagaku/
キリスト教文化圏では、人間は万物の霊長という事になっていて、人間以外の動物とは区別されている。従って、サルに一匹づつ名前をつけて、社会性を観察する「個体識別」という手法には至らなかった。実際、サルが人間に惚れたりするらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B0%B7%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E
生態学では日本が進んでいるが、物理学や化学、分子生物学等では、キリスト教文化圏が優れている。唯一の「法」を追い求める一神教の背景が有効に機能するからである。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/imanishi/science.html
科学に必要な要素は何か? 実証主義、再現性、因果律、といった言葉が思い浮かぶ。少なくとも実証主義でないものは科学とは呼べない。哲学や文学や、宗教学は科学ではない。
進化論や、地球科学、生態学、歴史学などは、化石や観察などで裏をとるから、実証主義ではあるが、偶然に左右される要素も大きく、再現性は低い。巨大隕石が落ちなければ、恐竜の時代が続いていたかも知れないのである。
経済学は、再現性という点で怪しいが、少なくとも実証的にやろうというのが経済物理学だと思う。経済物理学の研究が進んでも、何桁もの精度で将来を予測できるようになるとは思えないが、政策の有効性などは定量的に評価できるようになるだろう。
まあ、一言で「科学」と言っても、いろいろな階層があるという事である。