黒部の太陽

黒部の太陽」と言えば、故石原裕次郎の映画が思い起こされるが、今回、ドラマ化されるらしい。
http://wwwz.fujitv.co.jp/kurobe/index.html
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2008/08-258.html

「スターを貸さない、借りない、引き抜かない」という5社協定に反発して、独立した石原裕次郎にとって特別の思い入れがあり、現在でもDVD化されていない。 黒部ダム建設の苦闘を描いた作品であるが、ダム建設よりも、そこに物資を運び込むためのトンネル貫通に至る苦闘が描かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒部の太陽
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒部ダム

関西の某電力では、「クロヨン」というのは神聖化されており、内定を取り消されなかった人は、若狭の原子力発電所見学の道中、バスの中で「黒部の太陽」を視聴し、新しい技術に積極果敢に取り組んだ先輩の遺徳を偲ぶのである。

社長の太田垣士郎は、工事現場には、「いくらカネをかけてもかまわない、最新機材を投入しろ」とハッパをかけ、社内には、「鉛筆1本、紙1枚を節約しろ」、と言って全社を挙げた支援体制を築き、資本金の10倍のカネを投入して(よく銀行が貸してくれたものである)、ダム建設に成功するのである。
http://www.shinkin.co.jp/tanshin/zaidan/1hito/23ootagaki/index1.html
http://www.kurobe-dam.com/movie/index.html

この偉業はプロジェクトXでも取り上げられ、2002年暮れの紅白歌合戦では、中島みゆきが黒四発電所のトンネルの中から「地上の星」を歌った。
http://www.youtube.com/watch?v=-9wDeFI8kCA&feature=related
http://ja.wikipedia.org/wiki/プロジェクトX〜挑戦者たち〜

私は、黒部と関西を結ぶ送電線にのっている光ファイバを使って、高速光通信実験を実施した事がある。実験チームには、昔、黒四勤務だった方も居られた。丁度、独立を決意して休職に入った直後であったので、まるで自分のために歌ってくれているように感じた。
http://www.kepco.co.jp/pressre/1998/0630-1j.html
http://www.dbjet.jp/pub/cgi-bin/detail_pro.php?id=1395&top=html

京都に来てわかったのであるが、なぜ、彼らがトンネル掘削に執念を燃やしたか? 「琵琶湖疎水」という先例があったのである。東京遷都で衰退しつつあった京都で、北垣国道知事(但馬出身)は、大学を卒業したばかりの若き技術者、田辺朔郎を大抜擢し、琵琶湖と市内を結ぶトンネル工事に着手する。田辺は期待に応え、苦難を乗り越え、工事を完成させた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/琵琶湖疏水
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007524.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/北垣国道

併せて、当時アメリカで発明された発電機を導入し、蹴上発電所をつくった。これが日本の電気事業の始まりである。 この電気をつかって、市電を走らせ、織物工業を発展させ、映画産業を立ち上げたのが、現在の京都に繋がっている。 京大出身の太田垣の胸中に、琵琶湖疎水があったのは間違いない。
http://homepage3.nifty.com/Ogino/gijutu/keage.htm
http://www.youtube.com/watch?v=AauVuuhmyHk