中坊氏の最期の仕事

中坊公平氏が亡くなったとのニュースが流れている。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00245431.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0502X_V00C13A5CC1000/?dg=1

中坊氏は剛腕弁護士として弱者救済のために様々な功績をあげ、日弁連会長にまで登りつめたが、晩年は整理回収機構にからんで詐欺容疑や懲戒処分を受け、失意のうちに引退を余儀なくされた、と一般には理解されている。

私が中坊氏に出会ったのは、2005年9月10日、旧春日小学校でおこなった「NPO法人科学カフェ京都」の設立総会での事である。(中坊氏の弁護士登録抹消請求と退会届は05年11月に受理されている。当時、春日小学校には、総合地球環境学研究所が入っていた。)
http://www.marutake-ebisu.com/other/kyu-kasuga.html
http://www.chikyu.ac.jp/

それまで任意団体として活動してきたものを、NPO法人にする事が決定された。中坊氏はNPOの活動資金として多額の寄付をされた上で、理事にも加わられたが、体調を崩して実際の活動にはほとんど参加されなかった。中坊氏が加わったのは、科学カフェ創立者である伊藤榮彦先生の小学校の同級であった関係と聞いている。

中坊氏は我々理事に対し、ご自身の裁判での経験を1時間程話された。内容は著書にある通りであるが、中坊氏の裁判は、森永ヒ素ミルクにしても、千日前ビル火災にしても、いわば御用学者との闘いであったので、科学者、技術者に自らの良心に基づいて証言する事を求められたのだと思う。
http://www.amazon.co.jp/dp/4022613467/

中坊氏は「私は日本の科学技術者に不信感を持っている」、と言われた。裁判では科学技術者の証言が決め手となるケースが多い。「救うも科学者、殺すも科学者」という事になる。 決して、科学の楽しさを伝えようとか、理科離れ防止といったレベルの話ではなかった。福島の原発事故の時には、その主旨を心がけたつもりである。
http://ameblo.jp/kagaku/entry-10834021390.html

私は偶々、中坊氏の謦咳に接する機会を得たので、一人の偉大な人物の記録として証言させて頂いた。ご冥福をお祈りいたします。