死と再生

今日はキリスト教の復活祭、イースターである。イエスは、死によって人類の罪を贖われ、三日目に再生されたと言われている。自らの意志によって死を選ぶ、というモチーフは、源氏物語にも共通する。

5月になれば、京都は葵祭のシーズンである。源氏物語にも描かれているように、糺の森を行列が抜けていく。光源氏は、いろいろ失敗もした後、糺の森で、「憂き世をば 今ぞ別るるとどまらむ 名をば糺の神にまかせて」 と歌って、自らの意思で須磨に退くのである。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yhjp3lou/inpaku/FlyImage/august/tadasunomori.htm

死後の世界で、人生を振り返り、かつて出会った人々とも再会し、自らの罪を悔い改め、贖い、人生の新しい方向性を見出し、そして生まれ変わるのである。 それは、バプテスマ、出家、等とも共通し、宗教的人間は誰もが通過するプロセスである。

(ヨハネ10:17,18)
10:17> 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。
10:18> だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしは、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。