ハーバード白熱教室
先日、夜中にテレビをつけたら、東大での講義の模様が放送されていた。最後の数分間だけ観たのであるが、どうしてこんなに人気なのか私には理解不能であった。
http://www.nhk.or.jp/harvard/archive.html
そもそも、何を正義とするか? という問題は、人類最古の問題であろう。多くの人間が、より良い社会にするには、どのようなルールを設定すべきか? という問題に取り組んできた。宗教の本質もここにある。
確立されたルールを「律法」として体系化し、各種の教典や、聖書にまとめて来たのである。さらにそれを厳守するため、「神」を設定し、神から与えられたものとした。 即ち、「法治社会」では、「神」の存在が必須である。
例えば米国の民主主義では、「自由」とか、「人権」とかの概念は、神から与えられた絶対普遍の原則である。この考え方は、絶対普遍の法則を追求してきた自然科学との親和性が高い。ガリレオの時代には、研究とは神に近づくための行為であった。
http://www.youtube.com/watch?v=xE0iPY7XGBo
http://www.youtube.com/watch?v=3s6U8GActdQ
神を仮定しない社会では、この原則は存在せず、その時々の社会状況や権力者、政治家の判断によって、「正義」の概念は変わりうる。これは短期的には社会の柔軟性を生むが、長期的に見て、社会に歪みもたらし不透明にするものである。
かつての日本であれば、高い授業料を払ってハーバードとか東大とかに行って外国人に聴かなくても、例えば近所のお寺の坊さんに聴けば良かったであろう。日本は敗戦によって、広い意味での宗教を奪われた。三島由紀夫の嘆きもここにある。
しかたがないので現代の日本社会は、既得権保護を原則とするようになったが、これでは経済縮小時代に歪みが大きくなるのは明白である。現に低賃金の非正規雇用の若者が事件を起こしたり、未来への希望を無くしたりしているのである。
結局、日本の若者が希望を無くし、愛国心を無くしたのは、「法治社会」で無いからだと思う。愛国心のない国が復活できないのは、社員に愛されない会社が発展しないのと同様である。