日本は法治社会か?

「法治社会」で言う所の「法」は、社会全体で共有している倫理規範、原則のようなもので、宗教的背景を持つものだと思う。 日本はどちらかというと「人治社会」である所に問題がある。

「日本が法治社会でない」、と最初に言ったのは、日本国憲法を翻訳した白洲次郎である。彼は、「プリンシプルのない日本」、という本を残している。
http://www.amazon.co.jp/dp/4944124139/
http://www.nhk.or.jp/drama/shirasujirou/html_shirasu_sp.html

例えばダムの建設問題にしても、治水とか、利水とか、建設の根拠となる資料があるはずで、それを公開して、客観的に判断するのが法治社会、賛成派と反対派の声の大きさで、暗黙のうちに判断が振れるのが人治社会である。

例えば子供手当にしても、若夫婦が経済的に困窮しているという資料があるはずで、それを公開して、客観的に判断するのが法治社会、賛成派と反対派の声の大きさで、暗黙のうちに判断が振れるのが人治社会である。

中小企業の返済猶予にしても、官僚の天下りにしても、派遣切りにしても、根拠となる資料が公開されず、議論がウヤムヤになるようでは、法治社会とは言えないだろう。 人治社会であれば、権力者に取り入ったり、既得権を守ろうとするのは当然である。

真の法治社会であれば、選挙も本質ではなくなる。 誰がトップになろうと、法を実現することには変わりはないからである。共和党であろうと、民主党であろうと、大統領は聖書に手を置いて宣誓する。

聖書には、世論は当てにならないと書かれている。キリストは世論の力によって、磔になったのである。 ヒトラーは民主的選挙によって、選ばれたのである。 聖書には、人間ではなく神に従いなさいと書かれている。神とは本来在るべき姿、愛や義である。 

要は、法の内容と、リーダーの法に対する姿勢が重要なのであって、リーダー選出の方法は本質ではない。 多くの企業では、社長は選挙で選ぶ訳ではないし、江戸幕府が300年間続いた事でもそれは言える。

武士が腹を切ったのは、法を尊重するからである。昔の封建社会が法治社会で、戦後民主主義が、堕落した既得権社会をもたらしたのは、皮肉な話である。