JR尼崎事故
今日、4月25日は尾崎豊の命日であるが、JR尼崎事故の日でもある。尾崎と尼崎って似てる気もするが、多分、偶然だろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/JR福知山線脱線事故
1995年8月から、尼崎市にある研究所に異動になり、当時住んでいた交野市から4本の電車を乗り継いで通勤していた。
1997年3月にJR東西線が開通し、学園都市線ー東西線ー福知山線が接続され、1本の電車で行けるようになって喜んだ。 思えばそのとき、尼崎と塚口の間の線路が付け替えられたのだ。
http://express22.hp.infoseek.co.jp/jwgakkentosi.htm
会社は、尼崎と塚口の中間にあったので、どちらの駅も利用していた。尼崎から住宅街を抜けていく道も悪くなかったし、塚口から近松公園を抜ける道も良かった。今の季節は公園の八重桜が見事な花をつけているはずである。
http://kobe-mari.maxs.jp/amagasaki/chikamatsu.htm
遅くなった時は、腹が減るので、良く塚口の駅前でタコヤキを買ってホームで食べた。塚口には各停しか止まらないので、事故現場の横を通り過ぎて尼崎駅で快速列車に乗り換えて帰った。
2003年12月に会社を早期退職し、事故が起きたのが2005年4月25日である。私と同じ姓の青年が亡くなったが、多分、偶然だろう。
http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt18/20070425AS5C2500925042007.html
遺族の方たちは、JR西日本の官僚的体質を口々に非難される。愛や思いやりが感じられないと。結局、世の中を歪め、人間本来の自由や感情を奪っているのは、組織とオカネである。組織やオカネの名の下に、本来の愛や思いやりを失ってしまう場合の何と多いことか。
尾崎の場合、組織とは学校であった。彼は組織が押しつけてくる歪んだ価値観に反抗した。授業や受験勉強、学歴などはクダラナイと、心を捨てたくないと主張した。
http://www.youtube.com/watch?v=AiD78w0AqeQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=aJhYGBIt62c&feature=related
現代のキリスト教会は、組織が前面に出てしまっている場合もあるが、本来、イエス=キリストは、組織やオカネから自由になり、愛を実践する生き方を示したのだと思う。 コリント第一13章に記されているように、愛がなければ、全ては無意味である。仕事や研究活動もその例外ではない。
http://www.wcsnet.or.jp/~m-kato/bible/1corinth.htm
1301> たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
1302> たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
1303> たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
1304> 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
1305> 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
1306> 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
1307> そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
1308> 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
1309> なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
1310> 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
1311> わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
1312> わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られるように、完全に知るであろう。
1313> このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。