死と再生

今日はキリスト教の復活祭、イースターである。イエスは、死によって人類の罪を贖われ、三日目に再生されたと言われている。自らの意志によって死を選ぶ、というモチーフは、源氏物語にも共通する。

5月になれば、京都は葵祭のシーズンである。源氏物語にも描かれているように、糺の森を行列が抜けていく。光源氏は、いろいろ失敗もした後、糺の森で、「憂き世をば 今ぞ別るるとどまらむ 名をば糺の神にまかせて」 と歌って、自らの意思で須磨に退くのである。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yhjp3lou/inpaku/FlyImage/august/tadasunomori.htm

死後の世界で、人生を振り返り、かつて出会った人々とも再会し、自らの罪を悔い改め、贖い、人生の新しい方向性を見出し、そして生まれ変わるのである。 それは、バプテスマ、出家、等とも共通し、宗教的人間は誰もが通過するプロセスである。

(ヨハネ10:17,18)
10:17> 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。
10:18> だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしは、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

被災者移送大作戦

地震被災者の方々は、今は「生きてるだけで儲け物」という感じだと思うが、電気の無い状況では、一ヶ月持たないと思う。被災者を避難場所から、安全な地域に移送する必要がある。

以前、電力会社で配電業務に携わっていたので、「輪番停電」という言葉は知っていたが、実施されるのを見るのは初めてである。なんとなく古めかしい響きだが、明治時代に、cyclic blackout を直訳したのだと思う。

それにしても津波におそわれた町の状況は、凄まじいものがある。第2室戸台風とか、昔は大型台風が頻繁に来ていたので、その復旧が大変だった話とかは先輩から聞かされた。復旧作業中に命を落とした社員の話も聞かされた。

配電部門では、他の電力会社の復旧工事に応援に行く伝統があって、阪神大震災の時も、全国から手弁当で応援に来て頂いたが、それだけ復旧が大変な訳である。同じ会社の他部門よりも、他の会社の同部門の方が、心が通じるのである。

しかしながら、あれだけ徹底的に破壊されると、数ヶ月は送電は無理だと思う。いくら東北地方の人々が我慢強くても、電気のない生活は1ヶ月持たないと思う。被災地に仮設住宅を建てたって、電気が来なければ生活できない。

それより、被災者の方々を、全国で分担して受け入れるようにすべきである。全国のホテル、宿泊施設に被災者の方々を受け入れて、宿泊費は国が持つという風になれば、私は日本を尊敬するだろう。

日銀が金融市場に供給している42兆円のうちのいくらかを、被災者の方々に直接手渡す事が出来れば、私は日本を尊敬するだろう。42兆円あれば、一泊1万円としても、全被災者を20年間くらい宿泊させる事が可能である。

今は、行方不明者も多数おられて、被災地を離れるのはしのびないと思うが、破壊された町で生活を継続するのは不可能であるから、被災者の方々を安全な地域で受け入れる事を考えるべきである。

雪国の春

人間というものは、どうしても自分の経験や周囲の環境を基準に考えてしまいがちである。 例えば冬という季節も、太平洋側と日本海側では全く別の季節と言って良いと思う。

長浜に来て一ヶ月が経過したが、雪が消えないのには驚いた。融解熱があるので、零度近傍で、水と氷の間を行ったり来たりしているのである。太陽もタマにしか顔を出さない。 昨日は米原から新幹線に乗って東京に出張したが、降り注ぐ太陽が眩しくて、春が来たのか? と思う程であった。

昨年末にこちらに来て最初に言われたのが、スノータイヤに履き替えなさいという事であった。普通タイヤでは高速を走れなかっったり、事故を起こすと追加のペナルティーを課せられるのである。

駐車する時は、ワイパーを立てて、バックミラーも閉じてはイケナイ。凍り付いて動かなくなるからである。 車にに乗る時は、まずハンドワイパー(ブラシ)で、窓につもった雪や氷を掻き落とさなければならない。天井の雪も落としておかなければ、走行中にフロントガラスに落ちてきて、前方の視界を遮るので危険である。

言い忘れたが、車は必需品である。コレがないと、通勤も買い物もできない。土地は広いので、駐車場はタダである。 雪が降ると、道路や駐車場のあちこちから融雪用の水が出ているのを見ることができる。雪と共存した町作りになっているのである。

自宅の最寄り駅は、北陸本線河毛駅であるが、無人駅である。駅まで車で行って、駅前の広場に駐車して、電車に乗り込むのである。 河毛駅は「江姫」の故郷、小谷城の最寄り駅でもある。あんな山の上で生活していたなんて信じられない。昔の日本人はどのように寒さを乗り切ったのであろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%AF%9B%E9%A7%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B0%B7%E5%9F%8E
http://www9.nhk.or.jp/go/

自宅前は車輪が空回りするので、「雪かき」をする必要がある。道具も専用スコップから、ママさんダンプ、電動式まで各種工夫されている。 Amazon でも入手可能である。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00144SF9O/
http://www.amazon.co.jp/dp/B001J2XGAY/
http://www.youtube.com/watch?v=k03KZ27TPSY

これらは雪国の人々にとっては常識であろうが、大阪でも和歌山に近い所で育った私には、初めて知るものであった。雪国の人々は、「根雪」が消えて太陽が燦々とふりそそぐ春が来るのを、じっと待っているのである。東京には「本当の空」がないというが、雪国の春こそが、「本当の春」だと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=RyRBN48OWzs

資本主義の発展プロセス

メーカーに来て良く分かったのは、資本主義というのは集中と拡散という正反対のプロセスが交互に発生しながら発展するという事実である。

経済の専門ではないが、資本主義における技術発展のメカニズムは、経済学の中心課題の一つだと思う。資本主義では、技術発展はハイテク市場で勝ち組が一人勝ちするプロセス(シリコンバレー型)と、成熟市場で途上国に技術が拡散するプロセス(中国型)が存在する。

これらは、技術の集中と拡散という正反対のプロセスであるが、その背景には、成長点を求めて世界規模で資金が動いているという事実がある。ハイテク市場では資金は特定地域や企業に集中し、成熟市場では拡散する訳である。

例えば情報技術では、YouTube や、FacebookiPad などにみられるように、米国が標準となっており、日本はあまり成功していない。日本で現在、成功している会社は、技術を中国に持っていって、安い人件費で生産し、中国市場の成長に乗るとともに、日本に逆輸入して稼いでいる会社である。ビジネスというのは、安い所で買って(作って)高い所で売るのが鉄則である。

先日、100円ショップに行って、その品揃えと、品質向上に驚いた。1世代前の蛍光灯タイプの省エネ電球なども100円で売っている。ユニクロなどの繊維製品から、工業製品にもユニクロ現象が波及しつつある。
http://j.people.com.cn/94476/7275694.html
http://www.daiso-sangyo.co.jp/

ただ、このプロセスは日本の雇用を直撃するため、日本もシリコンバレー型のプロセスを実現しなければならないが、雇用システムとか、金融システムとか、様々な規制により、実現が難しいのだと思う。少なくとも同一条件で競争できなければ、海外から資金を呼び込む事は出来ない。

結果、日本は一部の勝ち組と、大多数の負け組みとに鮮明に分離し、雇用情勢は超氷河期と言われるように、悲惨な状況に陥っているのである。

さらに中央銀行の金融政策が日本の足を引っ張っている。中国でもインフレターゲットが設定されているが、少なくとも働く意欲のある人間が全て働ける社会にすべきである。これからやらなければいけない仕事はいくらでもあるのだから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88

謹賀新年


本年も宜しくお願い申し上げます。

今年は、ブロードバンドの普及効果が出て、
アジア各国との文化交流が活発となり、
政治や教育の古い体質が刷新されて、
日本が新しい方向を見いだす年になると
考えています。

その中で仕事をしていく事に期待しています。

光通信の研究に復帰

縁あって、光通信の研究に復帰する事になりました。それに併せて、滋賀県長浜市に引っ越してきました。NHKの大河ドラマ「江」の故郷、小谷城の近くです。
http://www.kohokukogyo.co.jp/english/index.html
http://www.nhk.or.jp/go/top.html

サイエンスカフェとか、エネルギー、経済物理の延長で何か仕事をする事も考えていたのですが、公式記録では光通信が専門という事で、その方面の仕事をする事になりました。

学生時代は、計算機シミュレーション、核融合、電力会社に入ってからは、配電、光通信、早期退職してからは、サイエンスカフェ、エネルギー問題、経済物理とやってきた訳ですが、専門を変えるのは効率が悪いし、自分ではそんなつもりは全然無かったのだけど、成り行き上、そういう事になってしまった訳です。

それぞれに全力でやってきたつもりで、それなりに結果も出してきたと思うのですが、日本の社会構造と、自分自身の思考パターンがうまく噛み合っていなかったようにも思います。そのため余計な苦労とか、遠回りの多い人生でした。

どちらかというと、人工物よりも、自然科学に興味がありましたので、理学系に行って、学校の先生になれば良かったと思います。日本の場合、学校とか、研究職とか、税金でまかなわれている職場というのは、極めて閉鎖的であり、途中からは入れないようになっています。

これは終身雇用制度と一体であるので、それが崩れない限り無理でしょう。一方、民間企業、特にメーカー系では終身雇用は崩れていて、その分、景気の波に乗って途中から割り込むことも可能になっています。

民間企業では秘密保持契約とかもあるので、自由には書けないのですが、光ファイバを使った各種の応用技術などにも、最近、新しい展開があります。若い技術者が、夢と希望をもって仕事に打ち込める環境をつくる事が重要だと考えています。

人生も後半に入って、そろそろ腰を落ち着けて、これまで貯め込んだ本とか、資料とか、パソコンデータとかを整理しながら、取り敢えずは滋賀県の片田舎で過ごしなさいという、神様からの指示だと受け止めています。

学問は既得権だ

余り学校では教わらないのだけど、学問というのは、先人が積み重ねてきた既得権の上に成り立っているに過ぎない、という事は認識しておくべきだと思う。

私は大阪南部の片田舎に育ったので、地元の公立しか選択肢がなく、お受験なんて無かったのだけど、京都では普通に中学受験があり、小学生が夜の9時まで塾で勉強していたりするのである。

ただ、そうして人生の貴重な時間を費やして、頭に詰め込んでいる知識が、国語、算数、理科、社会で無ければならないという、論理的な根拠は無い。 例えば、人間や社会の本質であったり、人生いかに生きるべきか? という知恵であったり、コミュニケーション能力を鍛えた方が、大人になって役立つ可能性が高いと思う。

実際、松下村塾とか、昔の寺子屋での教育は、哲学とか、倫理学が主体であったと思われる。少なくとも「理科離れ」などは問題にならなかった。 結局、学問というのは、その時々の時代に確立されている既得権の集合体に過ぎない。

これは音楽や芸能の分野でもそうである。大阪府橋下知事が、クラシックの楽団のサポートを削ったそうであるが、どうしてロックでなく、クラシックを税金でサポートしなければならないのか? と考えると「既得権」としか言いようが無いのである。

人間国宝に認定されると、年間200万円が支給されるそうであるが、能や歌舞伎は良くって、浪曲や漫才は駄目という論理的根拠を伺いたいものである。

学問の分野でも、どうして19世紀ヨーロッパの○○という作家の研究とか、××アゲハの生態の研究とかを税金でサポートすべきか? というと既得権としか答えようがない。

「学問の自由」というと聞こえはよいが、受験生や研究者は、意識的にせよ、無意識的にせよ、既得権の獲得競争に巻き込まれたり、維持拡大に貢献させられている事を認識しておくべきだと思う。